自分だけは安易な考えではない、少しだけ借金返済計画が狂っただけだと自己肯定しても、すべては結果となるのが「多重債務者の烙印」です。
その理由は、借金返済をしていける能力もない人がお金を借りるからです。
だから人は多重債務に陥る。
どんなに自分は安易な考えではないと抗弁したところで、それは自分で自分の多重債務者の烙印の上から更なる人間失格という烙印を押すようなもの。
多重債務者の烙印を押すとき
多重債務者とは
このサイトの多重債務者の定義は計画的な住宅ローンや自動車ローンを除く、複数の金融機関から借りる自分の欲望を満たすためにキャッシングやカードローンで受けた融資の返済に困っている人のことを言います。 (年収2000万円の人の複数の金融機関からの融資、やむを得ない環境で社会構造的に暮らしていけない人を含みません)
誰しも多重債務者になろうとしてなるわけじゃないと思います。
一部、家族の介護などで生活費を補う人が借金しないと生活していけないという社会の構造的な問題に直面するかたは不憫だと思いますが、世の中はそういう不条理なことも起こるわけで、そういった先見の明も持ち合わせて始めて自分の返済能力だと思っています。
それでも多重債務者になってしまう原因は、その人それぞれが持っている「人の性分」だと思います。
もともと借金が嫌いという人もいますし、返せば問題ないと考える人もいます。
借金することが悪いことではないということは、まさに真実です。
人は欲望のかたまり。
「お金は手段や道具」という人がいますが、多重債務者の場合は多くの場合は欲望を満たすための手段や道具であったりするのが、お金です。
多重債務になる人は、返済能力を超えてまでお金を借りてしまう時も、自分の欲望を優先させてしまうのです。
そしてその返済に苦労して、いわゆる借金苦になると、今度はその苦痛から抜け出そうと躍起になります。
この返済したい気持ちも、単に借金を完済して身綺麗になりたいという欲望なのかもしれません。
自分に押す烙印
私は自分に多重債務者の烙印を押しています。
それが良いものか、悪いものかはわかりません。
でもどちらかというと、私の中では悪いものです。
私が多重債務に陥った理由は、最初のキャッシングをした時から、お金に対する考え方が甘かったからです。
それは今でも変わらず、欲望のままに流されていきがちです。
今よりも暮らしが良くなる可能性を感じたら、きっとまた欲望のままに借金を重ねることを厭わないと思います。
それが私の性格というか、そういう思考や常識を超えた性分だと、つくづく思うことが増えてきて、多重債務に疲れた自分を感じています。
このような心境を借金生活に疲れたというのかもしれませんが、それを含めて嫌な生き方だなと思います。
幸せの度合いが人それぞれであるように、貧乏の程度にも境界はありません。
多重債務においても境界はありません。
他人から見て10回の不幸も、その人にとってたった1回の幸せが最後にくればハッピーエンドという場合もあるし、客観的にはわからないものだと思っています。
ただ借金だけは、毎月の借金苦で最後になんとか完済というハッピーエンドでは、その間に失う時間が大きすぎます。
そんなことを想いながら、借金返済のために動いて失った時間のことを考えると、もっと有意義な時間の利用方法があったに違いないと思う後悔にも似た自己嫌悪から多重債務者の烙印を自ら押してしまいます。
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